勘違いエンパワーメント

先日ランニングしながら考え事をしていたらふと閃いた。今のこの暮らし難さ(主に仕事面)の原因の一端はエンパワーメントと言う言葉を勘違いしてることではないか。

組織上でこの言葉を使う場合、上司から部下に権限を委譲して、自律的、自主的に仕事をさせる、ということをいうのではないだろうか。指示を仰ぐのではなく、自分の頭で考えて動け、と。それ自体は問題ない。いちいち確認しなくてもプロとして自分の責任を果たすだけだ。スピーディーで小回りも効くようになるだろう。問題は、権限と一緒に責任も移るわけだが、この責任を誰が把握しているのか、ということだ。

不況や人口減等、様々な理由で予算も人員もどんどん絞られる中、部下の仕事をすべて把握している上司などいないだろう。自分にできない仕事を部下にやらせている。それはいい。分かってやっているなら。が、分かってないとどうなるか?

まずは部下の達成した成果が評価できない。誰もできない仕事をやってるんだからそうだろう。どんなに苦労しようが、勉強しようが、改善しようが、アウトプットでしか評価されない。が、このアウトプット、出来もしない奴らが納期とか予算なんかから逆算して決めただけの机上の目標値で評価されるんだから溜まったものではない。

そして部下からしたら、そんな事はできないとか、非効率だ、と言う意見が通った試しがないのではないか。できもしない上司に難癖付けられて。で、(もっと効率的なほうほうがあっても)無理してなんとか不時着させると「ほら出来たじゃないか、やる気のないやつめ」と罵られ、出来なければ重箱の隅をつつくように揚げ足を取られ、責任を取らされる。

権限を移譲するというなら、徹底的にやるべきだ。新入社員だろうが何だろうが、一番詳しい奴ができないといったらできないのだ。そこまで任せられないようなら、中途半端なエンパワーメントなど行うべきではない。現在行われているのは無責任な丸投げだけだ。

先日亡くなった吉本隆明さんがほぼ日で対談した時の言葉。「十年間毎日ずうっとやって、もしそれでモノにならなかったら、俺の首やるよ」ここまで言えるだけの力と覚悟があった上で初めて権限だとか責任だとかを語って欲しい。「成功したら俺のおかげ、失敗したらお前のせい」では話しにならない。

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